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2017-05-10

後悔|良いこともあったはず

良いこともあった

後悔|良いこともあったはず

自己否定傾向の強い人は、現在だけでなく過去の出来事についても「あのときこうしていれば」「もっとよく考えていれば」「どうしてあんなことをしたのだろう」といった後悔の念に捉われ続けることがあります。そして結論はいつも「自分が悪い」となります。

しかし偶発事故を除けば、世の中に100%自分だけの責任で起きる出来事などありません。二人の間で起きたことなら二人に、グループで起きたならグループの人に、比率は違えどそれぞれ責任があるのです。ひとりで生きていると言うなら別ですが、そんな人はこの世にひとりもいない。

それでも後悔に囚われそうになったなら、思い出して欲しいことがあります。

一つ目は、人が何かを決めたり行動するときには、そのときの最善を選択するものだということ。振り返れば他にも選択肢があるのは当たり前。なぜならその時と違って事後であれば、余裕もあれば結果に対する反省もできている。ゆえに、より良い選択が見つかるのは当たり前でしょう。しかし、その時はその場の状況を見ながらの決断が必要だった。できる限りの洞察力を働かして最善と思われる選択をするしかなかった。だから良かれとは思えど手を抜いたわけではない。そうではありませんか?

それでも「どうして?」と苦しむのであれば、それは自分が罰せられることで得られるものがあると信じているからでしょう。でもそこに、相手の感情や思いは加味されていますか?

二つ目は、悪いことと同じくらい、良いこともたくさんあったということ。後悔に囚われはじめると悪いことばかりに意識が集中してしまうものですが、どんな関係にも良い時期と悪い時期はあります。良いこともあったから後悔しているのです。後悔するのは構いませんが、それなら悪いことと同じくらい良いことも思い出してください。相手も喜んだり、楽しかったり、一緒にいたいと思ってくれていたのです。何もできなかったなどと相手の感情や思いを忘れたような後悔は、独りよがりでしかありません。

厳しいことを言うようですが、大事なのは相手もそのとき最善を尽くしていた、あるいは一番望んでいることを選択したことを忘れないことです。そして後悔で立ち止まるのではなく、悪いことと同じくらい良い思い出も一緒に抱えて進むこと。それが相手の思いも含めた後悔の形であって欲しいと思います。

 

PS.ちょっと関連しているので紹介します。村上春樹の小説「ダンス・ダンス・ダンス」の一節。折に触れ読み返す箇所です。

『人というものはあっけなく死んでしまうものだ。人の生命というのは君が考えているよりずっと脆いものなんだ。だから人は悔いの残らないように人と接するべきなんだ。公平に、できることなら誠実に。そういう努力をしないで、人が死んで簡単に泣いて後悔したりするような人間を僕は好まない。個人的に』

 

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