2018-01-28

気を遣う人?気を使う人?

こんにちは。このところの寒さで自律神経系が弱い人は調子が不安定になっているのではないでしょうか。近年は異常気象が普通になりつつありますが、一体地球はどうなってしまったのでしょうね。。

さて、話は変わりますが今回は【気を遣う人】と【気を使う人】の違いと問題について、心理学的に考えてみたいと思います。

まずは意味ですが、とても簡単に言ってしまうと【気を遣う】は無償の思い、【気を使う】は見返りを求める思いです。(最近では厳密に使い分けてはいないかもしれませんが…)

では少し例を挙げてみましょう。

【気を遣う】・・・体調悪そうだからしばらく眠らせてあげましょうとか、おばあちゃんの荷物そこまで持ってあげましょうとか、特に近しい人や助けを求めている人に対しての思いです。基本的に純粋な優しさからの動機であり、自然発生的な思いですから、結果的に感謝されることはあれど、それをすること自体が目的と言えます。

【気を使う】・・・ここは賛同しておいた方がいいだろうとか、とりあえず笑っておこうとか、特に社会的な人間関係においては、何らかの見返りを期待した表面的行動が数多くあります。特徴としては、そういう時間が多ければ多いほど精神的に疲れるということ。ただ、それは利害関係で繋がっている社会で立ち回る上で、ある程度必要な技術ですから、一概に悪いことではありません。

では、どういったことが問題なのかということで今回お話しするのは、どんな場合でも【気を使う】ようになってしまうことです。

例えば家族や恋人や友人のような本来は気を使わずにいられるはずの間柄であっても[頼りになると思われたい][立場を有利にしたい][嫌われないようにしたい]といった見返りを期待して強く振舞ったり、優しくしたりすることは、ある意味相手の気持ちををコントロールしようとすることですから、一見強さや優しさに見えたとしても、そこには対等感も愛情も存在しないことになってしまいます。相手も自信のないタイプの場合は支配関係が成立することもありますが、多くの場合、相手側に居心地の悪い感覚や理解できない不安が芽生えますので、いずれ関係は成立しなくなるかと思います。

このように、たとえ無意識だとしても何らかの見返りを求めて気を使うことは、自分の自信のなさを隠すための技術であり、自己満足の為の癖です。(そうなってしまった経緯はそれぞれにあるし、その人には責任がないことも多々あります)しかし、弱い自分を守るためなら何をやってもいいということでもありません。特にそれが近しい人を利用することであれば尚更です。そんなことを続けていたら最後には本当に孤独になってしまいますからね。

【気を使う】ことに慣れてしまって平気な人も数多く存在していることでしょう。しかし、そういう自分に疲れてしまったり、壁にぶつかってしまったのなら変化するいい機会です。本気で向き合う気持ちがあるなら(一瞬で変わるものではありませんが)一度考えてみてはいかがでしょうか。

関連記事 ⇒ リフレイムの心理カウンセリングについて
関連記事 ⇒ オンラインカウンセリング


関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です