起こる出来事に意味はない
起きる出来事に意味はない
起きたことに意味を見出したいのは人間らしさのひとつですし、例えばそれが悪い出来事なら尚更のこと意味を知りたくなるでしょう。
確かにそれは、いろいろな要素が絡み合って起きたのかもしれません。しかし例えそうだとしても、それはたまたま起きたことでしかないという話をしたいと思います。
例えば自然災害に意味はあるでしょうか?犠牲者が出たとして「なぜ?」に答えはあるでしょうか?もちろん、災害が起きた理由、例えばプレートがズレた衝撃で地震が発生したなど、はあるでしょうが、なぜ私が地震の被害を被らなければならないのか?には明確な理由はありません。
例えば事故が起きたとして「なぜ?」に答えはありますか?運転手の不注意でとか、雨で視界が悪くてなどの理由はあるでしょうが、なぜ私が巻き込まれなくてはならないのか?には理由はありません。
このように、原因はあるし、反省もできるかもしれない。しかし意味はない。誰が犠牲になったとしても不思議ではなかったし、僕だっていつ巻き込まれるかわからない。そこで起きた出来事に意味はないのです。
だからといって「なぜ?」に捉われるなとは言いません。時間でしか解決できないこともたくさんあります。ただ、残された者には残された者の役割があり、残された人生がある。これも揺るぎない現実です。
忘れなければ死んだことにはならない、という話をよく聞きます。自分の心の中にありありとその記憶があるのであれば、これからも死ぬまで共に歩き、共に世界を見ることならできる。そしてそれがまだ生きたかった人の最後の願いだったと思えるなら、「なぜ?」と立ち止まってしまうより大事なことがある。時間はかかるとは思いますが、できるなら、そう思って生きて欲しいと思います。
残された人生をどう生きるか?決して楽な話ではありませんが、そもそも我々は楽になるために生きているのではありませんから。。
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