2018-06-02

人生の深め方(仮説)

こんにちは。昨日からの晴天が今日も続いています。気持ちの良い日ほど静かなのでw、久しぶりにブログを更新しようかと思います。

前回雑記にて紹介しました珈琲マスターのMさんと映画について話す機会を持つようになって触発されることが多くなり、観たい映画が増え続けています。相手が思い入れを持って語れば語るほど、どうしても観たくなる。皆さんもそういう経験ありますよね?今回はここから話を始めてみます。

感性の合う人が薦めるものに興味を抱くこと自体は不思議ではありませんが、同時に【相手がどんな風にその映画を観ているか】にも興味がわきますし、更に自分の観方も意見交換を通じて認識できるようになる。結果として次に映画を観る機会があったときには、自分の興味だけで観たときとは違い、それぞれの場面や台詞が持つ深い意味について多面的に感じながら観ることができる。今までなら気づくことがなかった新しい意味が付加されているというわけです。そう考えると映画を観ること自体、以前より豊かな時間になっているよなぁ・・・と思うのです。

そこで今回話したいのは【意味の付加】についてです。

例えば旅行に行く。興味や好奇心で場所を選ぶ。行けば当然楽しいし来てよかったと思う。あるいは、思ったほどでもない場合もあるでしょう。どちらにせよそれは、感情に従って動いたから得られた感想ですし、頭で考えているだけではわからない感覚です。また、新しく得られた情報は今後の自分の選択にも大きな影響を与えるはずです。

そしてもうひとつ。行動は後に更なる意味を生み出すことがあります。例えばそれが新しい人生の始まりの記念としての旅行だったり、親友と一晩中夢を語り合った旅行だったり、傷心を癒すための旅行だった場合には、人生に行き詰ったときにふと思い出すことがあるのではないでしょうか。「あの頃は希望にあふれていたな」「あのときは夢があった」「あのときの自分は・・・」。そんなとき、新しい場所で気分転換してもいいはずなのにも関わらず、もう一度そこに行ってみたくなったり、実際に行ってしまうことはありませんか?

それについて私は、そこに【行動により付加された意味】があるからだと考えています。初めてのときに感覚に従って訪れたことで生じた【自分と向き合わせてくれた場所】という、過去には存在しなかった意味。それが今の自分の成長や変化や喜びを生み出すきっかけだったので、再スタートにはふさわしい場所では?という意味が生まれているからではないかと。

現代人は情報過多状態なので、経験よりも知識をもとにした想像によってものごとを判断して生きているように思います。子供にはさみや火を使わせない親、理科の実験でガスバーナーを使わない学校、責任をとらない為の仕事・・・それらは危険を回避するという意味はあるものの(語弊を恐れずに言えば)大人の責任からの逃避を優先した、学びも喜びも発見も成長も生まれない時間です。そう考えると、失敗や傷つくことを恐れて行動しないことの代償はとても大きい。

私はもう50になったので、残り時間を考える機会が以前より増えました。振り返ると良いことも悪いこともありましたが、ここからはできるなら良いことを増やして生きていたいと思います。そこで昨年あたりから【思ったら行動する】ことを自分に課すようにしました。前述の通り、【経験が新しい意味を作る】ことが体験的にわかるからです。結果、新しい人と知り合い、新しい経験をすることとなりました。もちろんそれと比例して痛い(特に精神的に)経験も増えましたし、傷つきもしました。ただ、人は痛みと引き換えにしか何かを得ることはできない生き物ですから、そこは覚悟の問題かと捉えて継続しています。

前出のMさんも、紹介が巡り巡って出会えたひとりです。結果として新しい考え方を得たし映画の時間が豊かになっている。それを話すことでより更に新しい深い考えが生まれてくる。映画だけではなく、生活にも【意味の付加】が起きている証拠です。

生きていく選択に正解などありませんし、簡単に幸せになる方法もありません。生きること自体、もともと痛みと苦しみでできているからです。ただし、覚悟を持って喜びを得ることはできると思います。心理学的には【幸せはその人の考え方で決まる】ものだからです。ではその考え方を支えるものは何か。そのひとつがものごとに対する【意味の付加】だと思います。そしてそれは行動することでしか生まれないもの、想像の世界にいるだけでは生まれないものなのです。

もちろん正解がない以上、行動しても思ったように変わるかどうかはわかりません。私が言いたいのは、行動しなければ何も変わらないということだけです。そこを理解していただいたうえで、読んでいただければ幸いです。

ということで、久しぶりに書くと説教臭い自分が登場するので、このあたりでやめておきます。まわりから「説教臭い」と思われがちな年齢になったので(笑)。では皆さん、また会う日までごきげんよう!

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