2020-01-10

不定期日記|20200110

不定期日記|20200110

余白

「どう解釈したらいいか?」と思うのは、概ね言葉が少ないとき、言い換えると説明が少ないときである。「説明は最小限にするから、あとはそっちで勝手に解釈してくれ」といった感じ。要するに対象(言葉や作品や物語)に余白が多い状態を指す。ヒントが少ないほど必死に解釈を考えるし、長きにわたり思考するわけで、受け手としても大変な作業ではあるのだが、最近これを「良きもの」と考えるようになった。なぜなら何でもそろっている現代社会において、探しても探しても答えが見つからないものというのは、逆に意味があるように思えるからだ。歳を重ねるにつれ『意味のある人生を送りたい』と思うことが増えているので、余白こそが最後の晩餐並みに贅沢で美味しいものなのではないかと思う今日この頃である。

祖母

認知症が始まって以降、できるだけ祖母に対しては誠実であることを心掛けたのに、亡くなってからは不誠実さの塊のような日々になってしまっている。どういうことかというと、物理的にはお別れの儀式は済ましたのであるが、精神的には死に対して全く向き合っていないということだ。まるで今も祖母が元気で存在しているかのような感覚で過ごしている私は、要するに祖母の死と向き合うのが怖いのである。幼少期から高校卒業までの間、私は祖母に育てられた。近い表現で言えば「育ての親」ということになる。正直、その晩年までいつでもどこでも私の心配をし続けて気にかけてくれた祖母の不在に耐えられる気がしない。決壊しそうになっているダムが自分の意識のどこかに存在していることさえ感じる。そういったわけで、私は未だに祖母の遺影に手を合わせることができずにいるのである。今年こそと考えてはいるが、いったいどこでどのように受け入れたらいいのか。しばらくは不誠実な日々が続きそうな予感がしている。

全員年下

ラグビーのワールドカップは大いに盛り上がった。個人的にも何試合かは会場に足を運んで観戦できた。これでも一応大学ではラグビー部だったので、人並みにラグビーを愛しているのだ。アイルランド戦やスコットランド戦の彼らの闘う姿勢には尊敬の念さえ感じられたし、終わってから数か月たった今も、彼らをメディアで見かけるたびに神を見るかのような気持ちになる。しかし、ある時HCのジェイミーの年齢を知ってからは関係者(協会除く)が全員年下であるという事実に愕然としてしまった。何ならジェイミーに「いちいちカッカするなよ」とか、慎さん(スクラムコーチ)に「ちょっとパン買ってきて」とか言っても、年齢的にはおかしくはないわけである(道義的には問題だが)。結果どうなったかというと「自分はちゃんと年相応に責任を果たしているのか?」という問いがブーメランの如く私に突き付けられることになった。ということで今年の目標は「年相応の人になる」に決まりました。

片づける

祖母亡き後、物理的な意味での片づけを全て担当した(私が一番関係が濃いのと、娘にあたる母が老いているから)。その過程で思ったのは、「なんて大変なんだ」ということだ。日常品は選別すればいいのだが、未整理の書類の類や役所、銀行や保険の類は簡単にはことが進まない。本人がやらない場合には身分証明を含めあらゆる規則が存在しており、こちらの気持ちが折れてしまうぐらい気が遠くなる作業である。結果(まだ全く終わっていない)、自分もいずれそうなるのだから今のうちに準備しなくてはという気持ちが強くなった。子供がいないから誰にも頼れないということもある。とにかく、並行して自分の書類や持ち物の整理を始めてしまったものだから、年末は自宅が嵐の後のような様相を呈することになった。何をまとめて何を捨ててどう準備するか・・・考えれば考えるほど脳内が混乱していく。「何とかなるって」「そんなのまだ早い」などと意見は頂いたが、自分の気質がそうなのだから意思では止めようがない。家に帰るたびに部屋の荒れ具合に「やれやれ・・・」とため息をつく日々である。

ひとり旅

事務所を移転してから、年に2度ほどひとりで旅をするようになった。仕事柄精神面で健康であることが必須なので、それを維持するのに何が一番いいのかを試行錯誤した結果である。ただし観光もしないし名物を食べることもない。宿だけは少し贅沢をするが、ぶらぶら歩いて目についた(あるいは調べておいた)珈琲屋さんに入るか、眺めのいい場所でぼんやりするなどして日がな一日を過ごすだけの、非日常の空間に身を置くことを目的とした旅である。そういえば、まだ20代の頃、住みたかった街である神戸に泊まるたびにラークを買ってジッポーライターで煙草に火をつけてホテルの窓から神戸の街並みを見下ろすという自己陶酔的なことに嵌ったことがあった。当時は『男とは何か?』ということを考え続けていたころなので、ボガードか何かの映画で観たワンシーンを再現して悦に入っていたのだと思うが、今考えると男とは最も遠い位置にいたように思う。

SW

スターウォーズのエピソード9が公開された。思い返せば幼少期より約40年に渡り見続けた唯一無二の映画である。ディズニーに権利が移って以降のSWには賛否両論あるが、それよりも何よりも「共に生きてきた」という思いが、この映画を特別なものに感じさせてしまい、あまり批判めいた考えは浮かんでこない。スターウォーズが生まれた時代に生きられて本当に幸せであった。ところで最近の映画に出てくるロボットから感情が伝わるのが凄いと思わずにいられない。表情が変わらないのに悲しみが伝わるなんて凄すぎる。SWに出てくるR2D2やBB8(ドロイドといわれるロボットの型番)に至っては「ピーピー」という電子音しかしないのに猛烈に感情が伝わる。欲しい。うちにも一台欲しい。

読解力の問題ではない

どんな言葉でも、それだけを切り取ればどんな風にもとれる。例えば「700円のランチで我慢しよう」という言葉も、どんな状況で誰に対して言ったかがわからないので「700円のランチなんて寂しい奴」「ランチに700円も使えるなんてリッチ」「どんなご飯にも生産者の思いが詰まっているのだから、我慢とはなんだ」といった感じである。これを読解力の問題とする向きもあるが、私は相手を理解しようとする気持ちの欠如と考える。理解しようとしていれば「なぜそんな表現をするのか」を聞くことができる。誤解は限りなく減らせるだろう。一方で例のような反応をしていたら争いや諍いが絶えない。ちなみに心理学的には人の上げ足をとる人のほとんどは自分自身に問題を抱えている人である。人は考えが違うから争うのではなく、認めさせたいから争うのだろう。(誤解されたくない人はSNSはやらない方がいいです。ほんとに)

テレビ電話

先日関東の知り合い数人とテレビ電話で会議するという体験をした。基本アナログなのであまり積極的にそういうことはしないのだが、必要に迫られたこともあって提案にのった。結果、とても有効で合理的で面白いということがわかって、これを生かして何かできないだろうかと思案中である。頑固ジジイになるのもひとつの在り方だが、残り少ない時間を有意義に使えれば、より多くの出会いができるし、学ぶことも多い。一生対話して勉強していたい私としては、最適なツールを教えてもらえて楽しみが増えた。

おかげさまで

おかげさまで無事2020年を迎えることができました。高岳に移転して3年。ようやく落ち着いて仕事に向き合えるようにもなれました。これもリフレイムを利用していただいている皆様のお陰。感謝してもしきれない気持ちで一杯です。常々「カウンセリングは相性」と言い続けている私にとって、再びここを訪れてくれる人がいることは、大きな支えとなっています。ということで、リフレイムを利用していただいている皆様、「今年もよろしくお願いいたします」


関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です