不定期日記|20200916
不定期日記|20200916
ブログ
以前はよくブログを書いていたのだが、あるときからとんと書かなくなったのには一応理由がある。大した理由でもないが、とにかく書いてからしばらく時間が経つと、内容と自分の方向性にズレが生じるのが、どうにも居心地が悪く感じられるようになったというのがそれである。仕事の性質上、以前のブログを読んで・・・といらっしゃるお客さんもいるのだが、それが数年前の記事だったりすると、今はすっかり違う考えだったりして申し訳ない。そんなことで今はめったにブログを書くことはなくなったが、代わりに簡単な思いを雑記的に綴ったものをこうしてアップしている。もっとも最近は忙しくてそれさえもあまり更新していないので、何かについての考えを聞きたいという方は、直接ご質問ください。。
理解
辛いことを共有したり、同じような辛さの人と繋がることは、ある種の安心感を生み出すので精神安定上悪いことではない。だからと言って、そのことで理解者が増えたわけではないのだが、ともすると共感と理解は混同されてしまう。特に今苦しんでいる人にとっては、その余裕のなさゆえに錯覚してしまうことが多々あるのだと思う。
理解とは、その人の好きなことや目指していることといった「人生に対する姿勢」を把握して初めて起きるものだと思う。それがわかるから、「何が辛いか」「どんなふうに辛いか」が推測できるのではないか?
共感はあくまで「状況」に対してのものである。辛いのはわかるけど、この人にとってなぜそれがそんなに辛いのか、までは寄り添えないように思う。結果、共感を理解と錯覚した人間関係はいずれ壊れてしまうと思うのだが、どうだろう。
嬉しいこと
僕には勝手に親友と呼んでいる人がいる。高校時代から続いている唯一の友人なので(断っておくが、彼女には友人はたくさんいる)、お互い不精な性格ながら、1~2年に一度くらい会っては色々な話をする。先日彼女からのメールにとても嬉しいことが書いてあったので記念に書いておこうと思う。それは「内田君ってねじまき鳥の主人公に似てるよね」というもの。[ねじまき鳥とは村上春樹氏の「ねじまき鳥クロニクル」のことである。そして彼女は、唯一の村上春樹友達でもある]
ねじまき鳥の主人公岡田トオルは、僕がかつて「こうありたい」と思ったロールモデルの人。物語の中の彼は、僕の常識を超える強い意志を持って孤独と向き合い、希望に突き進む人なので、とても追いついたとは思えないが、それでも誰にも言っていないことに気付いてもらえるというのは大変うれしい。ということで、僕は勝手に親友と呼んで大事に思っているわけである。
思考の深度
思考の深さは人それぞれである。断っておくが深いからいいというわけでもなく、深ければ深いなりの悩みを抱えているので、バランスの問題と考えたほうがいい。対話の機会を通じて感じるのは、深度が同じ人と話すのはとても楽しいということ。もっと言えば、深度が同じで違う考え方だったりすると、より面白い。スポーツでいうところのいいライバル関係のようなもので、とても勉強になったり刺激になったりする。一方でグループで話すときに深度が違うと、若干のギスギス感が生まれるように思う。特に「言葉の選択」においてずれが生じたり、攻撃的に感じられたりすることが多くなる。リフレイムで行っている対話企画でもときどきそういうことが起きるので、なかなか対話も難しいなというのが個人的な感想である。
個人ラジオ
自粛中、思考が沸騰するたびに思ったのは、ラジオのようなものをやってみたいということ。インプットの仕事なので、アウトプットの時間がないとバランスが悪くてどうも調子が出ないのだ。調べると個人で吹き込んでポッドキャストにあげられるアプリもあるようなので、密かにチャレンジしようと思う今日この頃である。
歴史的建造物
以前に珈琲屋さんを巡って店主の哲学に触れるのが好きとか、箱から伝わる哲学を感じるのが好きという話を書いたかと思うが、よく考えてみたら、建物(箱)から伝わる哲学に興味があるのだから、デザインが凝った場所にも興味があるのでは?という仮説に至った。そこで、このコロナ禍にある程度けりがついたら、デザイン建築巡りをやってみようと思う今日この頃(パート2)である。
会議
会社員時代を振り返ると会議ほど無駄な時間はなかったと思う。毎週のように社員を集めて偉い人が入れ替わり立ち代わり訓話をするような前時代的な会社だったので、偉い人って自己顕示欲を満たすためならなんだってやれるんだなぁ・・・と思ったものだ。あの頃は時間もたくさんあったからつきあえたけど、今の年齢でやられたら、貴重な時間の無駄遣いに腹が立ったに違いない。結局辞めるという選択をしたので、あまり思い出すこともなくなったのだが、今でもときどき当時の同僚がやってきて会社の話をしたりする度にちょっと熱くなったりする自分がいて面白い。
取材
この仕事について初めて某雑誌社から取材なるものを受けた。とある気質(HSP)の傾向についての当事者の受け入れ方と、関係者の接し方を教えてほしいという内容のもので、関東ではその分野の第一人者でもあるAさんが私を某新聞社に紹介してくれて実現したものだ。2ページ分の記事ではあったが、話したことはそのまま載せていただけた。ちなみにこのことを一番喜んだのは母で、発売日にはさっそく手に入れたらしい。喜ばせたことなどあまりなかったので、親孝行できてよかった、というのが一番の感想である。Aさんありがとうございます。。
言葉
「言葉は人を表す」という言葉がある。今の仕事に携わるようになってからは、発せられる言葉が人を理解するための大きな判断材料になることもあって、本当にそうだなと思うことが増えた。言葉が持つ本来の意味以外に、その選択や組み合わせ、意図の持たせ方などから、相手の本質のようなものが漏れ出てくる感じだ。見せている自分と本当の自分は違うわけだから、ずれがあるのは仕方ないにしても、本人が意識さえしていない毒や黒さが垣間見えるときは、正直しんどい気持ちになってしまう。それもあって、自分自身も随分気を付けて言葉を運用しているのだが、それでも以前に書いたものを読む機会があると、嫌なものを発見してしまったりして、これまたしんどい気持ちになってしまうのが、結構ストレスだったりする今日この頃(パート3)である。
後記
久しぶりの雑記になりました。コロナの影響や更年期や世の不安定さに伴う忙しさなどにより、なかなか書く気力が湧かず、なんとか今年二回目の更新にたどり着きました。初めてのコロナ禍の経験の中で、変化に対応し続けることに思いの外、気力と体力が消耗されてしまったことが一番かもしれません。実はコロナに関することは、何本か書き上げてはいたのですが、読み返してみるとまだ中途半端な気がして、今回は外しています。ということで、ここまで読んでいただきありがとうございます。また、どこかでお会いできれば幸いです。どうかお元気で。。
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