自分の幸せは誰にもわからない
皆さんが幸せに感じることは何ですか?
明確に認識している人もいるでしょうし、考えたこともない人もいるでしょう。思いつくままにいくつも挙げられる人もいるし、幸せ自体どういうものかよくわからない人もいるのではないかなと思います。改めて聞かれると案外難しいことかもしれませんね。
それでも、「自分の幸せは○○」と答えた人の話を纏めると、幸せの形がずっと変わらない人、時と場合によって変わってしまう人、年齢や経験値によって少しずつ変化していく人、小さなことでも幸せに感じる人、大きなことじゃないと幸せとは思えない人・・・と様々な人がいるので、幸せの形は人の数だけあるのだと思わずにはいられません。
一方で人類には「多数の人が幸せになるための正解」を作り出してきた歴史があります。例えば「良い成績を取ること」「良い学校に入ること」「良い就職をすること」「お金を儲けること」「結婚すること」「子供を設けること」などです。それらの選択は根拠もないままに「幸せの絶対条件」のように思われてきました。実際にはそれらを手に入れても幸せにはなっていない人が少なからずいるにも関わらずです。(この点に関しては政治や経済の方向性が影響しますので社会心理学的な研究にお任せします)
その影響で、多くの親が自分の子供にそれを求めるようになった時代がありました(今も傾向は色濃く残っていますが)。いわゆる正しいレールに乗れば必ず幸せになれるといった妄信的な考えです。
でもよくよく考えてみると、これは強引ですよね。なぜなら大人同様、子供にもそれぞれの気質や価値観や考え方、得意不得意や様々な感じ方があるからです。レールに乗ってお金持ちになったり、高い地位に就くことが好きな子もいれば、人の役に立つ人になりたかったり、創作活動に打ち込みたかったり、裏方で力を発揮したいと思っていたり、のんびり平和に暮らせれば良かったり、・・・他にも数えきれないほど幸せの形があるはずです。だとしたら、それぞれの思う幸せの形が叶うようにサポートしてあげるのが親の大事な仕事のような気がしますが、最終的にはどうしても皆同じように同じものを目指さないとダメだ(不安だ)といった考えに囚われてしまうのは、時代の流れなのかもしれませんね。(もう少し丁寧に言うと、自尊心に問題のある親ほど囚われてしまうということがいえます)
このように、一番自分を分かってくれそうな親でさえ、子供に自らの幸せを当てはめてしまいがちなわけですから、自分の幸せを他人が分かるということは、なかなか難しいことではないかなと思います。
幸せが何かは分からないけれど、人の感情なら分かるという人はいます。それは子供時代に大人の顔色を見る必要があった人に多いです。例えば機嫌の悪そうなときに話しかけたらひどい目に合うわけですから、そういったことを避けるために必死に観察を続けた結果、それが得意になってしまったというパターンなどはそれにあたりますね。
心理学の研究では、「あなたの為」「あなたはこうすれば幸せになれる」「いつか私の言っていることがわかる」などの言動をする人の多くは【自分の満足感や安心の獲得の為に他者を利用する傾向】にある可能性が指摘されています。アドバイスをしたがる人もこれに当たりますが、残念なことに言っている当人はそのことを意識していないのが一般的です。要するに、本当に「あなたのため」「これは正しいこと」と思ってしまっているわけです。そうなると一概に拒絶するのも難しいところですが、やはり自分を守るため、自分の幸せの為には、ちゃんと一線を引くことが大事になりそうです。(親が、あるいはこれから親になる人がもっと親子関係の心理学に興味を持ってくれるといいのですが…)
繰り返しますが、自分の幸せを他人がわかるということは難しい。ですから例え「あなたの幸せの為だから」と誰かに熱く語られたとしても、自分の幸せは自分で選びたいものです。なぜなら、勧められたレールに乗ったにも拘らず上手くいかなくなったときに、あなたの為と言った人のことを恨んでしまうかもしれないからです。それこそ幸せとは縁遠い生き方だとは思いませんか?
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