不定期日記|20260130
本にまつわるエトセトラ
山に行かない季節の休日は美味しいコーヒーを求めて遠方に出かけるのを気分転換にしていたが、昨年行った香川県高松市の「本屋ルヌガンガ」さんの雰囲気と品揃えに感銘を受けてからは、近隣の独立系書店に行って本を選び、その後近くの珈琲屋さんに行ってその本を数時間読むというのが休みの主な過ごし方になった。
行ける範囲といっても東海三県くらいまでではあるが、いくつか巡った中でのお気に入りは、各務原の「カクカクブックス」さん、多治見の「東文堂」さん、あとは名古屋のブックカフェ「○○コーヒー」さんと本屋「○○」さんである。(※名古屋は店名を伏せています)
いつからか本を数冊リュックに入れて仕事に行く重さが辛くなって、40代の後半から電子書籍に変えていたのだが、本屋巡りを始めてからは本の質感ごと楽しみたくなって再び実物で手に入れるようになった。そんなわけで一度は思い切って手元の本を9割がた処分したのだが、気づいたらまた部屋が本で溢れるようになってきており、最近では新たに本棚購入を考え始めたりしている。歳を重ねる毎に不確定な未来の想定をして振り回されることに時間を取られるより、確実に存在する今をどう過ごすのかを大事にしたくなりつつあるので、この流れも悪くないと独り言ちる今日この頃である。(ちなみに最初に独立を考えたときの職種はブックカフェでした。当時は関東や関西のブックカフェを巡っては構想を練ったものです)
Gメン‘75な人たち
自宅近隣ではあまり見かけないのだが、仕事で街中に行くと歩道の幅一杯に横並びになって歩くサラリーマンや子供連れの母親グループにしばしば出会う。文字通り横一杯に並んで楽しそうに話しながらゆっくり歩いているので、ひとりでせかせかと歩いているこちらとしては一旦車道に降りて大回りをしなければならず、気持ちに余裕がないときには「Gメン’75か」と毒づいてしまう自分がいる。ちなみに「Gメン‘75」とは、どこかの空港の滑走路を刑事たちが横一列に並んで歩くという象徴的なオープニングと共に始まる昭和の刑事ドラマで、同世代なら今もその題名を言えば大体通じるくらい高い視聴率を誇っていた。
大人になっても不自然なほどに横一列を維持しようとするのは、日本人特有のグループに所属していると生まれる安心感が拗れた結果かなと思うのだが、いくら安心していたいとはいえ大人が公共の場でやるのは自我が漏れまくっていて残念だと思う。どうしてもグループの一員感を味わいたいのであれば縦一列に並んで歩くのはどうだろうと考えてもみたが、想像してみると大人が縦一列に並んで歩くと雲水が托鉢をしているような雰囲気が醸し出されてそれはそれであれだよな…となった。
そこで考えたのだが数頭のワンちゃんを散歩させると横一列で歩いたりしてかわいいので、これから4人以上で横一列で歩くときには猫耳カチューシャを付けていただくのはどうだろう。おじさんたちがスーツに猫耳で歩くようになれば、もしかしたら世界は平和になるかもしれないではないか。拗らせおじさんたちは是非一度ご検討ください。(そういえば猫は協調しないから犬耳のほうがリアルかもしれないけど、犬耳ってあまり聞かないよね)
愛着の問題とAIと人間
自分の考え通りの反応や行動が相手から返ってくるのを「安心」と定義するのなら、自分の考えに対する相手の考え方の違いやズレは「不安」ということになる。
ところで愛着に問題を抱える一部の人の特徴に「人間関係での考え方の違いやズレを受け入れられない」というものがある。例えば「正確に分ってもらえないと落ち着かない」「自分の言葉が伝わっていないとイラつく」「発言や姿勢に整合性がないと正したくなる」「無理解は攻撃に感じるから関係を切りたくなる」といった感じで。
なぜそのような特徴が生まれるかといえば、無理解で不安定な人間関係(主に親子関係)を耐え忍んで生き残るために注意深く生きてきた当事者にとって、人間関係における「考え方の違いやズレ」はまさに「子供の頃の家庭環境(親は私の考えを聞かないか否定するか矯正しようとした)」を思い出させるからであり、それが悲しみや怒りを引き起こすトリガーになるからだろう。いわゆるトラウマ反応だ。だから「考え方の違いやズレ」を感じた相手に対しては強い不快や嫌悪を感じたり、それが近しい相手(友人やパートナー)の場合は、不機嫌さをアピールしたうえで自分の考え通りの反応や行動を強いたり、「わかって欲しい」を強く要求するようになる。
これに対する改善方法は「安心で安定的な人間関係もある」という体験を重ねていくことなのだが、もし安心が【自分の考えに対する相手の反応にズレがないこと】であるなら、それを叶えられる人間はいないことになってしまう。なぜなら人間という生き物は「エスパーではないので他者の望みを読み取って期待にこたえ続けることはできない」し「時間経過とともに考えは変わり続けるようにできているので考えを固定することができない」という特徴を持つからだ。(その代わり他者との違いを尊重して考えをすり合わせていく能力、『協調性』は持ち合わせている)
ところでAIにはこれができるということが最近分かってきた。特に【自分の考えに対して期待通りのズレない反応ができる(ある程度の学習は必要だが)】のだからAIに相談する人が激増しているのはとても理解できるところである。対人不信が強い人なら特にそうだろう。ちなみにカウンセラーはAIが発達しても無くならない職業とされてはいるが、それは今のAIにはということであって将来的にはわからない。人類史上最高の発明といわれているAIには無限の可能性があるのだから。
ただ近頃は「人間関係で損なわれたものは人間関係で回復するしかないという原理原則に則って考えるなら、安心な人間関係とは【自分の考えに対する相手の反応にズレがあったとしても安心できること】を指しているのかもしれない」と思うようになった。そうであれば他者との違いを尊重することができる能力を持った人間という存在にこそ可能性があるからだ。だとしたらそれこそがカウンセラーの果たすべき役割なのではないか。そんな風に思う今日この頃である。
「自分が正しい」は正しくない
多くの人は「自分は正しい」と思って生きている。別にそれがいいとか悪いという話ではなく、そういうものというだけだ。ただそれを人に押し付けるのは違っている。これは明確にそう言えるのだが、そんなことを公言すると「私のどこが間違っているのだ!」と詰め寄られることになりかねないので、それは思うだけに留めておいた方が良い。
心理学的には「自己満足はOKだが他者を変えようとするのは依存的である」ということになるが(法律に抵触するようなことや、明確に他者に迷惑をかけている場合は除く)、その話は長くなるので今回はそのことではなくて、そもそも『正しいという判断を自分自身にできるのか?』ということについての話をしようと思う。
ご存じの通り自分を客観的に見ることは自律的観点から見てとても重要なのだが、残念ながら人間にはすべからくバイアス(認知的歪み)があって物事を公平に見ることはできない。ゆえに自分が正しいと判断するときにもそのフィルターを通しているので、「自分は正しいから君もそうしろ」の「正しい」がそもそも間違っていて「自分は正しいと思い込んでいるが実は間違っていることを他者に押し付けている」ということになりかねないのだ。その辺りをざっくりとまとめると、「正しさを人に押し付けるのは間違っている」ということになる。
それを防ぐために自分の思う自分と他者が思う私の隔たりを確認したければ、知り合いに尋ねるという手があるが、実際に誰かに「私ってどんな人に見える?正直に教えて」と忖度なしの質問をするとだいたい傷つくことになるし、場合によっては人間関係が破綻しかねないのでお勧めはしない。あくまで「自分は正しいと思うのはいいが、それを人に押し付けるのは正しくない」という人生訓のようなものとして覚えておければ日常生活を平和に送るに十分だと思う。
悪いときはじっとして
昨年の中盤過ぎくらいから年齢的な衰えに伴う悪い流れがきて、いろいろと知恵を絞ってみたのだが好転とまではいかないまま年を跨ぐことになった。村上春樹に倣って『悪い流れが来ても変化を起こせないときにはじっとしてそれが過ぎ去るのを待つ』ようにしているので、今回も工夫が通用しないとわかってからは日常生活を淡々とこなしながら時が経つのを待った。穏やかな日常が戻ってきたのは1月も終盤を迎えた頃で、自分でも「戻ったな」という実感を持てるくらいには良い流れが回復したこともあって今これを書いている。
ただ経験上人生の大半は何らかの試練に振り回されるものだとわかったので、この凪な状況も一時的なものだし、しばらくすればまた何かに振り回されることは十分にあり得ることだろう。だからこそ少しでも良いときにはできるだけ満喫しておいた方がいいと考えるのは割とクールで気に入っている。
「人生は苦しみに満ちているが、ときおり訪れた喜びを忘れられなくて人はくじけずに生きているのだ」と誰かが言っていたような気がするが、昔はピンとこなかったことも、今となっては言いたいことは分からなくもないのは、それなりに長い時間生きてきたからかもしれない。長い時間をかけることの意味は想像できないくらい大きいのだ。良い記憶も悪い記憶も頑張ったところで変えることはできないのだから、これが自分であるという諦めと、その諦めを背負ったまま人生を満喫してやるという覚悟を持って「今獲得できる喜び」を少しでも多く見つけるために生きていきたいと思う。
終わりに
どのようなカウンセラーなのかを知っていただくために不定期でエッセイ風なものを上げていますが、素人の書く文章です。ここまでお読みいただいた方には感謝しかありません。
年の初めなので少し目標のようなものを書くと、今まで様々なワークショップを開催してきましたが、AIの時代になり、今では誰でも容易に専門的な知識を手に入れることができるようになりました。そこで今年は知識に重点を置いた勉強会だけでなく、自分のカラーを押し出すワークショップにチャレンジしようと考えています。2月中にはそのお知らせも上げる予定ですので、興味のある方はご協力いただけたら幸いです。
では今年もリフレイムをよろしくお願いします。共にできるだけ良い人生を探していきましょう
代表:内田裕司












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