1. 「優しさ」と「誠実さ」の混同
カウンセラーとしてのキャリアの初期、私は「誠実さ=相手の要望に可能な限り応えること」だと信じていました。
例えば時間が過ぎても「もう少しだけ」と請われれば延長を厭わず、深夜のメールにも「きっと不安なんだろう」と即座に返信を繰り返す。それがカウンセラーの私にできる寄り添い方だと思っていたのです。
しかし、その「良かれと思って引かなかった境界線」が、ときに残酷な結果を招き得ることを、私はあるとき学びました。
2. 依存という名の、奪われた自律
心理援助の現場では、ときに「優しさ」が毒になることがあります。
かつての私がそうであったように、相手の痛みに同調するあまり、決められた枠(境界線)を曖昧にしてしまうと、そこには改善ではなく「依存」が生まれます。
私が線を引かず、行き過ぎかなと感じる要望にも応え続けたことで、クライエントさんの「この人がいれば私は何とか前に進める」という感覚を強めてしまい、結果として社会生活における自律的行動を著しく困難にさせてしまったことがありました。何か困ったことがあると、自分の力で考えるよりも先に、私への助けを求めるという形で、安心を得ようとされるようになってしまったのです。
相手を信じていないからこそ、手を貸しすぎてしまう。
それは一見寄り添っているようでいて、実は相手を「ひとりでは何もできない人」として扱う非常に失礼な行為だったのではないか。相手の社会復帰をできるだけサポートしたいという行き過ぎた思いが、皮肉にも本当の意味での回復(自律)を遠ざけてしまったという事実は、今も思い出す度に私の胸を突き刺してきます。
3. 境界線こそが、回復のための「安全な手すり」
この経験を経て、今の私は「決められた枠(境界線)」を、何よりもクライエントさんの尊厳を守るために意識的に設定するようになりました。
「ここまでは私がお手伝いしますが、ここからはあなたがご自身の力で歩む領域です」と明確に示すこと。それは突き放しではなく、あなたが「自らの力で人生を切り拓ける存在である」と、私が誰よりも信じているという証だと受け止めていただけたなら幸いです。
適切に引かれた境界線は、依存という泥沼からあなたを守り、日常の中で自分を取り戻していくための「安全な手すり」になります。
4. 自律できるまでの伴走者として
今の私が考える誠実さとは、クライエントさんの機嫌を取ることではありません。
たとえ「ドライだな」「冷たいな」と思われたとしても、長期的な回復のために、専門家として線を守り抜き、伴走し続けること。
「自分を大切にできない人間が、誰かの自律をサポートすることはできない」
この原点を忘れず、私はこれからも、利用して頂く皆さんを尊重しながらサポートしていくために、「境界線」を大切にしていきたいと考えています。










