2026-09-10

子どもが心配なとき

正しい子ども像ではなく、目の前の子を見る

子どものことになると、冷静ではいられないこともあるでしょう。

学校に行きたがらない。友達が少ない。勉強しない。進路を決めない。何を考えているのか分からない。親の言うことを聞かない。そんな姿を見ていると、

「このままで大丈夫なのだろうか」
「将来困ることになるのではないか」
「親として、もっと何かしてあげるべきではないか」

と不安になるのは自然なことだと思います。大切な存在だからこそ、心配になる。ただ、心配することと、その心配を根拠に「この子はこういう子だ」と決めてしまうことは、少し違うと思いませんか。

子どもとの関係に行き詰まったときには、一度、「私は今、本当に目の前のこの子を見ているだろうか」と考えてみるのは大事なことではないでしょうか。

正しい子ども像で、目の前の子を見ていないか

親になると、知らないうちにさまざまな基準を持つようになります。

「この年齢なら、これくらいできるはず」
「普通なら友達と遊ぶものだ」
「自分が子どもの頃はもっとできていた」
「周りの子はできているのに」

ある程度の目安を持つこと自体が悪いとは思いません。

ただ、その基準を目の前の子供に当てはめ過ぎてしまうと、「この子はなぜ普通にできないのだろう」と、心配になっていくこともあると思います。そしていつの間にか、「怠けている」「反抗的だ」「繊細すぎる」「コミュニケーションが苦手だ」と、一つの言葉でその子を説明したくなってしまう…。

でも、本当に知りたいのは、その子の「足りていない部分」だけではないはずです。

どんな場面で困っているのか。誰といるときにそうなるのか。反対に、困らずに過ごせている場所や相手はいないのか。そうやって現実を細かく見ていくと、「この子はこういう子だ」という説明だけでは分からなかったことが見えてくるかもしれない。

「普通の子ならどうするか」ではなく、「この子には今、何が起きているのか」という視点を持つ。私は、この違いはとても大きいと思っています。

子どもの心配に、親自身の不安が混ざることもある

子どものことを考えているつもりでも、そこに親自身の不安が混ざることがあります。

「この子が将来困ったらどうしよう」という心配の中に、「自分の育て方が間違っていたと思いたくない」「周囲から親としてどう見られるか気になる」「とにかく早く安心できる状態になってほしい」という気持ちが含まれていることもあるでしょう。

これは、親を責める話ではありません。親もまた、一人の人間だからです。だからこそ、

「これは本当にこの子が困っていることなのか。それとも、この状態を見ている私が不安なのか」と少し分けて考えてみることには意味があります。

もちろん、子どもを理解しようとすることは、何でも許すことではありません。危険な行動なら止める必要がありますし、家庭のルールや境界も必要です。

ただ、「止めること」と「なぜそうしたのかを知ろうとすること」は両立します。問題に見える行動だけを急いで変えようとする前に、「この子にとって、これはどんな意味があるのだろう」と考える余地を少し残しておく。

それだけでも、関わり方は変わってくるのではないでしょうか。

完璧な親でなくてもいい

子どもは大切なのに、子育てがしんどい。一緒にいると疲れる。ついイライラする。話を聞き続けるのが苦手。

そんな自分に、「私は親失格なのではないか」と考えてしまう方もいます。でも、子育てが得意かどうかと、子どもを大切に思っているかどうかは別の話です。親にも得意不得意がありますし、余裕を失う日もありますからね。

必要なのは、いつも穏やかで正しい親になることではなく、

「自分はどういうときに余裕を失いやすいのだろう」
「何を怖がっているのだろう」
「子どもに何を求めすぎているのだろう」

と、自分自身についても知っていくこと。

子どもを見るためには、親自身の心の動きにも気づいておく必要があります。自分の不安が分かれば、それをそのまま子どもの問題として扱わずに済むこともありますから。

愛情があることと、伝わることは同じではない

親が「愛情」として伝えたものと、子どもが受け取ったものが、いつも噛み合うとは限りません。

例えば「あなたのために言っている」という言葉。親にとっては心配や愛情から出たものでも、子どもには「今の自分ではダメだと言われている」ように聞こえているかもしれません。

だからといって、親の愛情が偽物だと言うつもりはありません。ただ、人と人との間では、伝えたものと受け取られたものがずれることがあるということなんです。親子であっても、それは同じです。

だから、「私はこういうつもりだった」だけで終わらず、「子供にはどう聞こえているのか」を確かめてみる。

そして、子どもの答えが自分の想像と違っていたとしても、すぐに訂正せず、「そう聞こえていたんだね」と一度受け取ってみる。そうすることで初めて、目の前の子どもが見えてくるのではないでしょうか。

「この子をどう変えるか」より、「私はこの子をどう見ているか」

子どもとの関係に困ると、「どうすればこの子は変わるのだろう」と考えたくなります。でも、その前に、「私は今、この子をどんな子だと思っているのだろう」と考えてみるのは大事なことです。

「普通ではない子」「将来が心配な子」「言うことを聞かない子」「困った子」。そんな私の物語の中に、いつの間にか子どもを閉じ込めているかもしれませんからね。

子供にも葛藤はあります。ただそれを表に出すのが難しいことはあり得ます。時間はかかるし、方法も不器用でしょう。でも、だからこそ昨日まで話さなかった子が、今日は少し話すかもしれない。学校では動けなくても、別の場所では生き生きしているかもしれない。反抗しているように見えた言葉が、その子にとって初めて自分の希望を伝えた瞬間かもしれない。

親と子どもは、別の人間です。だから、すべてを瞬時に分かる必要はありません。それよりも時間をかけて理解していくことを続けたい。

だからこそ、頭の中にいる「こうあるべき子ども」ではなく、「今、この子には何が起きているのだろう」と目の前の相手を見直し続けること。子どもと向き合うというのは、そこから始まるのではないかと思っています。

リフレイムでは、子どもを思い通りに変える方法を考えるのではなく、親として何を心配しているのか、その不安はどこから来ているのか、そして実際の子どもは何を見せているのかを一緒に整理していきます。

必要であれば、親自身のこれまでの経験や価値観も含めながら、目の前の子どもとの関わり方を考えていきたいと思います。

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