不定期日記|20250524
文房具で上げていこう
昔から文房具は私の気分を上げてくれる存在だった。中学の頃カンペンケースなるものが流行っていてテスト前などは古くなったものを時折新しくするだけでやる気が高まった記憶がある(数百円で買えた記憶があるが定かではない)。一度友人がふざけてカンペンケースに傷をつけたことがあったときは大喧嘩になったくらい私にとっては大事なものだった。
カウンセラーとして仕事をするようになってクライエントさんの話をメモするようになったことで長い間忘れていた文房具への想いが再燃した。今最も熱いのはボールペンである。毎回かなりの量の筆記が必要になることもあり書き心地はとても重要だ。様々なものを試した結果「ジェットストリーム」が一番しっくりするとわかり以来ずっと愛用しているのだが、つい先日ロフトに立ち寄った際「ZENT」なる水性ボールペンに出会って衝撃を受けた。かなりの書き心地の良さでジェットストリームと甲乙つけがたい出来だったのだ。買い物をするときはしばらく寝かせるというマイルールに沿ってしばらく距離を置いていたのだが、1か月ほど経ったある日、気分を変えたいなと思ったタイミングで「ZENT」のことを思い出した。
早速次の休みに買いに行くと欲しかったモデルが売り切れだったので、「まぁ皆が欲しくなるのはわかる」といくつか店を回ったがどこも売り切れ。お店の人に聞くとメーカーにもないので次回の生産が上がるまでお待ちくださいとのことだった。その日以来休みが来るたびに文房具コーナーを回り続けて2か月。ついに先ほど「お一人様一本まで」の張り紙と共に売られている「ZENT」を見つけようやく購入した。とても嬉しいのでこうしてブログに書いている。一目ぼれした相手に告白されたような気分といってもいいくらいだ(経験はない)。こんなに気分が上がるのなら文房具依存と言われても構わない。そんなわけで今私は最高にやる気がある状態である。
尊重
先日リフレイムが企画しているオンラインコミュニティの雑談会で、人間関係を安定させ持続させるものは「お互いが尊重し合うこと」といったテーマで話し合いをする機会があった。
当たり前のことだが人間にはそれぞれに事情があり都合があるが、それをわざわざ説明してまわる人は居ないので、相手の事情や都合を知らないままに自分の事情や都合で話を進めてしまうことは起こり得る。しかしそればかりでは尊重に欠ける話の展開になることもあり得るわけだから、長い目で見ればそういった付き合いは長続きしないだろう。そう考えると「尊重し合う」ためにはお互いに意識的である必要はありそうだ。『親しき中にも礼儀あり』にはそういった意味合いも含まれているのかもしれないなと思う。
ところでコミュニティの中でも話が出たのは、自分が尊重されていないということにはすぐに気づけるが、自分が相手を尊重できているかどうかはどうやって確認すればいいのだろうかということである。まさか相手に「尊重されてると感じる?」と聞くわけにもいかないし、尊重していると思ったところであくまで主観でしかない以上、実際にできているかどうかはやはりわからないだろう。
私などは最近その辺りを考え過ぎる傾向が強まって人間関係に慎重になってしまった。「尊重」について考え過ぎるのも善し悪しである。そんなわけで「君と話すのは好きなんだよね」といった感じで相手のことを思っている程度が一番いいのかもしれないなと思った次第である。
ここらで腰を据えて向き合いませんか
悪い人間関係の中で長く過ごしてしまったことで心に問題を抱えて社会生活がなかなか上手くいかなくなっているという場合、回復するために何が必要かというと、長い時間に渡り良い人間関係を経験することに他ならないというのが私の考えである。もっともどんな心理系の教科書にもそう書いてあるので別に私が発見したわけではない。
しかし理論上はそうであっても、現実的にはそうはいかないのが難しいところだ。現代社会は効率やスピードを重視するので、長い時間かけて改善しようなどという人は(あるいはそんな余裕を持っている人は)まずいない。私のカウンセリングルームに持ち込まれるのは、どんなに悪い状態だろうと「できるだけ少ない負荷で早く改善したい」という要望が殆どである。
しかし残念ながらそんな必殺技は存在しない。必殺に見える方法はたくさん提案されているが、実際に一度で改善が起きることはまずない(一見改善されたとしても大きな反動がやってくるし、そもそもそれで改善されるなら、とっくに精神疾患は世界から無くなっている)。故にそのような説明をすることになるわけだが、多くの場合その説明が届くことはない。何故なら長きに渡り悪い状況下にあるということは、持続的に努力できるようなエネルギーを持ち合わせてはいないということと等しいからだ。要するに「理論上は何をすればいいか分かったけどね、体がついてこないんだよ」ということなのだ。
そうなると少ないエネルギーでできることを模索するしかない。だから話をするだけでいいからときどきここに来ませんか?という提案になっていく。そんな緩いことでは意味がないのでは?と思われるかもしれないが、初めにも書いたように大事なのは【長い時間にわたってよい人間関係を経験する】ことだから、我々カウンセラーが例え(仮)という立場であっても理解力のあるよい人間(あくまで安心して対話を続けるにあたって適当な人間という意味)でありさえすれば、知らぬ間に目標は達成できることになる。なぜなら【長い間にわたって安心感のある会話を続けられる経験】が提供できるのだから。
心の問題は急ぎでやっつけるようなことではない。自分のことを軽視する人ほど「我慢」や「気合」で乗り越えようとするが、既に辛いと感じているのであれば、大事に養生するタイミングが来ていると考えた方がいい。もっと言えば、多分悪い人間関係の下で生きてきたからこそ自分を軽んじるような癖がついてしまっているのだから、ここはひとつ自分の価値観を見直すいい機会だと捉えてカウンセラーを頼っていただきたいと思う。少なくとも我々カウンセラーはクライエントさんに持続的に伴走することで改善のサポートを手伝う仕事なので。
パラダイムシフト
塾講師時代、重力について説明するという模擬授業を受けたことがある担当は実力派の講師で皆から一目置かれている存在だったが、初めて見た彼の授業に私は激しい衝撃を受けた。それは自分ではとても思いつかないような、それでいて子供たちが一瞬で深く理解できるような、そんな講義だった。それ以来私は「パラダイムシフト」に取りつかれてしまったのだと思う。ちなみにパラダイムシフトとは【ある時代に一般的だった考え方や価値観が、根本的に変化すること】である。要するに自分の当たり前がひっくり返ることだ。
その影響からだと思うが私が誰かと話したいと思うのは自分自身にパラダイムシフトが起きることを欲求しているからということも大きい。当然ながら自分自身の力では起こせないので、自分以外の誰か(自分と違う考えを持つ誰か)と交流したり意見交換したりする必要がある。(「自分と同じ考えを持つ人と出会いたい」という考えを否定しているわけではない。それはそれで情緒を安定させるうえで大事なこと)
仕事も落ち着いてきたこともあってそういった機会を増やせないものかと色々試行錯誤中だ。例えばオンラインコミュニティは今までの目的(コミュニケーションの練習場)を昨年度で一旦終了し、今年から「様々な考えに触れる場所」という意味合いを強くした。来月からは対面企画でも「思考の淵に潜るワークショップ」なるものを立ち上げる予定だ。
「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」とはニーチェの言葉だが、私もまた思考の深淵を覗くことでパラダイムシフトを起こして自分を更に深められたなら、この上ない喜びを経験できると思う。
終わりに
不定期ながらもどのようなカウンセラーが担当するのかを知っていただくためにこのようなものを上げ続けています。今回もここまでお読みいただきありがとうございました。間もなく梅雨に入りますが、気分が落ち込みがちな時は「話でもしに行こうか」と気軽にリフレイムをご利用いただけたら幸いです。ではまたお会いする日までお元気で。









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