自分ならこう考えるのは王様だけ
「自分ならこう考える」の落とし穴
「自分ならこう考えるのに、なぜあの人は…」という視点で他人を判断することがあります。同じ考えであれば信頼できたり安心したりするでしょうし、違う考えだと疑問視したり否定したりすることもあるでしょう。
僕も長い間「自分ならこう考える」は判断基準の柱のひとつでした。振り返るとそれは、相手の身になって考えなさいという教えから生まれたような気がします。自分ならあんな風にされたら嫌だからやめておこう、といった感じで人の身になって考えることの大切さを学んできた。しかし、いつの間にかそれが他人を評価するための判断材料に変化してしまったのではないかと。
ものごとに対してどう考えるかなんて、10人いれば10通りあるでしょう。自分と同じ考え方をする人など厳密にはひとりもいないはずです。だから「自分ならこう考えるのに、あの人は…」と否定していること自体、まるで自分が世界の中心かのような傲慢な考え方なのかもしれません。
心理学者のアドラーは、「自分ならこう考える」という見方が基準の人は、他者が自分の為に生きており、自分の希望を満たさなければ憤慨する、と厳しく指摘しています。「自分ならこう考える」とは自分への強い執着であり、他者への無関心であると。なかなかに厳しいですが、鋭い指摘です。
他人に興味を持ち、違う考え方を尊重したうえで、合うかどうかを考えられたらいいですね。もっともその上で「合わない!」と思った場合には、その人との距離感を再調整するきっかけにすればいいだけです。他者を尊重するとは、自分の考え方を押し付けることではなく、合わないときにはきちんと距離を取ることも含まれます。そしてそれは同時に自分を尊重することでもありますから。
花粉症の季節がやってきました。季節の変わり目で体調も不安定になりがちです。皆様どうかお体ご自愛くださいませ。ではまた会う日までお元気で。。
うちだ
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