2024-03-26

不定期日記|20240326

確定申告との闘いが終わった

前回も書いたが、私は確定申告の作業がとても嫌いだ。好きだという人がいたなら話を聞きに行きたいくらいだ。毎年締め切りギリギリに提出しているので、学校ならとっくに目を付けられているかもしれないが、もう立派な社会人なので、期日を守りさえすれば誰も文句は言ってこないのはありがたい。

ところが今年は締め切りの4日前に提出するという奇跡が起きた(特に早いわけではないが)。理由は簡単で単に逃げ場がなかったからに他ならない。例年この時期には友人の珈琲屋さんに行っては「まだやってない」「やりたくない」と管をまくことで現実逃避していたのだが、わけあって彼が休んでいるので、その分作業するしかなかったわけだ。しかし何はともあれ今年の作業も終わった。もう2度とため込まないぞと心に強く誓うが、また来年の今頃には現実逃避しまくっていることだろう。ダメなところは何年たってもダメという典型的ダメ人間であることを思い出す3月は本当に苦手だ。

大事なことはスタートレックが教えてくれた

皆さんは「スタートレック」というTVドラマをご存じだろうか。歴史を紐解けば1966年にアメリカで始まったテレビシリーズ「宇宙大作戦」に端を発する、壮大な宇宙への冒険の物語である。宇宙大作戦に関しては年齢的に再放送で観たということになるが、1987年からの「新スタートレック」以降は、タイムリーに(本国の放送後かなり経ってから日本に入ってきたものをという意味)観続けてきたくらい大好きな作品である。驚くことに今もそのシリーズの放送は続いているので、総時間数を考えれば簡単に観なおせるようなものではないのだが、それでも世界中にスタートレックフリークは数多存在しており、その根強い人気は衰えることを知らない。

内容をざっくり説明すると、地球人を中心にした惑星連邦の様々な人種(異星人も多々含む)が、まだ見ぬ銀河系の果ての探査や外交や治安維持のために、力を合わせて探査船で旅をするというものだ。子供の頃はただただSF好きな少年として、異星人との戦いや見知らぬ惑星探索に夢中になったが、大人になるにつれて、様々な考えを持つ様々な人種や異星人が一つの船に乗り、長きにわたり生活を共にする上で大事なことは何かが描かれていることに度々感銘を受けるようになり、いつの日か自分が成長するために必要な姿勢を学べる大事な作品という認識に変わった。

ここでも何度か触れているが、人間はまず誰かを真似て自分の主体性のベースを構築する生き物だから、主体性の獲得にあたって「ロールモデル」を持つことはとても大事という話がある。子供であればそれは主に親だったり教師だったりするが、親子関係に問題のある環境で育った場合には、親が理想的なロールモデルにはならないという問題が生じる(歪んだ影響は大いに受けるが)。また問題のある親子関係を経験した人ほど、その後の人間関係が苦手になるというデータもあるため、親以外で信頼できる誰かと知り合ってロールモデルにするということも難しい。しかし近年の研究によって、ロールモデルはフィクションの世界で見つけても同様の効果があることが分かってきたために、架空の人だけど尊敬できる、あるいは好きだと思える人がいれば、どんどんその考え方を取り入れて主体性のベースを構築していきましょうということになった。

そう考えると、私は大事なことを「スタートレック」で学んだのかもしれない。子供の頃に夢中になった「未知との遭遇」も「スターウォーズ」も「007」も全て私の先生だったのだろう。そのせいでどこかタガが外れたようなところはあるが、それでもその数多くの空想上の先生たちに感謝せずにはいられない今日この頃である。

M君のこと

M君の話をしよう。彼は自家焙煎のコーヒー屋さんで、音楽と映画に精通した温かで味わい深い私の友人だ。同い年ということで、観ている映画はもちろん、時代的な共通項が多く、毎週のように映画に限らず様々なことについて密に話し合う仲だ。

ぶっきらぼうで思ったことははっきりと言うし、絶対に弱さを見せない人だったけど、色々な人が彼に会いたくて店に来たし、若い子たちから慕われてよく相談にのっていたし、私が疲れているときには私に悟られぬよう気分転換させてくれた。そんな彼と珈琲を飲みながら、忖度なくあれこれ話し合える時間は、私にとって本当に贅沢なひとときだったと思う。

彼の病気が発覚したのは昨年の1月末のことだ。状態は思いのほか深刻だったが、それでも「治すだけのことだよ」という力強い言葉と共に手術に臨んだ彼は、それから4か月ほどで約束通り復帰した。以前よりずいぶん痩せていたが、相変わらずの雰囲気で珈琲を淹れる姿を見て私は神に感謝した。

しかし奇跡は1年しか続かなかった。今年に入っての検査で再発が見つかったのだ。検査結果を聞きに行った病院から戻った日の夕方、ちょうど他のお客さんがいなくなったタイミングで彼が初めて弱音を吐いて、こみ上げるものを我慢するように天井を見上げた。そういうときになんて言えばいいのか私にはわからなかったし、何か話すと涙が止まらなくなりそうだったので、結局ずっと「うん、うん」と頷いていた。

そして再入院。「じゃあまたね」と言う私に「また連絡するよ」と笑顔で手を振ってくれたのが彼を見た最後になった。

整理できない感情が不意に襲ってくる日々が続いた。彼の死に無理やり意味付けするような真似はしたくないので、そのままにしておいたのだが、一方で、自分のことで私が停滞するのを彼が良しとするとは到底思えないのもあって、そろそろちゃんとしようと考えるようになった。そしてある種のけじめをつけるにあたって、どこかに彼のことを記録しておこうと考え、結局ここに記すことにした。書くことで整理できることもあるだろう。

『忘れさえしなければ人は居なくなったことにはならない』とはよく言ったものだが、到底忘れられるはずもない楽しい時間だった。またいつか会って映画の話ができるなら良しとしようではないか。そんなわけで、とりあえず自分の生活に戻ることにしたので、それまでは一旦さようならだ、M君。

May the force be with you

最後に

大きな出来事があって文章が右往左往してしまいましたが、書かないというのは無しと決めていたので、若干力ずくで仕上げてみました。来月からはまた平常運転に戻りたいと思います。今月もここまで読んで頂きいただきありがとうございました。


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