人は腑に落ちないと変われない
人は腑に落ちないと変われない
腑に落ちるって大事だと思うんです。色々な方と話をしていると、結局のところ人は自分の出した答えでしか変われないことを実感します。
自己啓発の本やセミナーで「なるほど」と感心するのに変われない。あるいは言われた通りにやってみるのに結果が出ない。先ほどの話から考えてみると、それは、そこにあなたの出した答えが無いからではないでしょうか?(正しいとされることが自分に合っているとは限らないとも捉えられる)
スピリチュアルなものを信じて道を決めてもらう度に安心できるのに、しばらくして問題が起きると不安になって、また答えを貰いに行く。それも、そこにあなたの出した答えが無いからだと思うのです。
断っておきますが、僕は自己啓発やスピリチュアルを否定する気はありません。合う方法は人それぞれに違うものです。そこから生まれるものがあって、それを大いに生かせるのであれば、どのような方法であれ有用だと思います。
ただ、そこに自分が無いのであれば、結局何をやっても変わることなどできないのではないか、と思うのです。アドバイスのまま動くことは、アドバイスをくれた人の考え方で生きているのと同じこと。人の考えに沿って生きているのですから、何か問題が起きる度に、その人に聞かない限り、どうすればいいかわからないのは当たり前だと思いませんか?
カウンセリングも同じことです。クライエントさんの悩みが分かった時点で、カウンセラーがいくつかの答えを提示すれば、そのときは一時的に救われるかもしれないけれど、当事者であるクライエントさんは、いずれまた行き詰ることになります。自分から生まれたものでない方法は、自分では応用できないからです。
だから大事なのは腑に落ちることなんです。それなら自分らしいとか、それなら自分にも合っていると思えることなんです。
こんなたとえ話があります。
ある人が花屋さんにやってくる。その人は「頑張った自分の為に花束を贈りたい」という。どんな花束がいいか聞いてみるのだが、使って欲しい花をいくつか挙げはするものの「花束のイメージはあるんだけど自分でもうまく説明できなくて」と言う。そこで「こんなのはいかがでしょう?」と、使いたい花をうまく組み合わせて、とても華やかな花束を作って見せた。ところがその人は「うーん。素敵だとは思うんだけど・・・」というばかり。では、と今度は少し変わったアレンジのカッコいい花束を作って見せる。ところがその人は「これも素敵だけど・・・」と煮え切らない。一体どんな花束を作れば満足するのだろう?
というものです。お店にやってきたお客さんは使って欲しい花はあるけど、それを使ってどんな花束にすれば自分が納得できるのかが具体的にはわからないという状態ですね。
カウンセラーの仕事も、使って欲しい花を手掛かりに「もしかしたら、あなたの言っている花束はこれですか?」と提示することではあります。でも強いて違いを挙げるとするなら、提示する花束は、クライエントさんに質問を繰り返し、それに対して答えていただいた話だけを元に作られているということです。当然魅せることのプロではないので、傍目から見て「美しい」「素敵」とはならないのですが、質問のプロではあるので、少なくとも依頼してきた人が「言いたかったのはそういうこと!」と感じることができるような花束です。
迷っている人や悩んでいる人に、他者がどんな素晴らしいアドバイスをしても、先ほども書いたように、短期的には有効であっても、長い目で見ればあまり良いことにはなりません。それよりも自分は本当はどうしたいのかを探して、自分の中にある腑に落ちる答えを見つけてもらうことの方が、その人自身の自律的な生き方にも繋がるという意味で重要です。
何をやっても変われなかった、腑に落とすことができなかった、というのであれば、一度サポートを受けながら自分の中を探ってみませんか?あなたの中にあるはずのものを、あるいはこれから身に着けていきたいものを一緒に探して見つけるお手伝いをすることでしたら、大いに協力できると思いますよ。
まずはあなたの話を聞かせてください。
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