変われない人
ある川の近くに男が住んでいた。神を敬い熱心に働く男だった。
ある夏の終わり、大きな台風が男の住んでいる地域に直撃するというニュースが入り、ラジオでは川沿いの住民に避難するよう呼び掛けていた。しかし男は避難もせず、神に祈りをささげた。
しばらくすると近所の知り合いがやってきて「ここは危ない。一緒に避難しよう」と呼びかけたが、男は「私は神を信じている。いざとなれば神が守ってくれる!」と誘いを断った。
しばらくすると地元の消防団がやってきて「避難命令が出ています!早くここから出てください!」と言った。しかし男は「私は神を信じている。いざとなれば神が守ってくれる!」と言うことを聞かなかった。
しばらくすると警察のボートが上流からやってきて「このボートが最後の救助艇です!早く乗ってください!」と叫んだ。しかし男は「私は神を信じている。いざとなれば神が守ってくれる!」と首を縦に振らなかった。
やがて川は増水し、激しい流れとともに男もろとも家を飲み込んだ。遠ざかる意識の中で男は「神よ!なぜあなたは私を見捨てたのですか!私はこんなにもあなたを敬って生きてきたのに…」と呟いた。
すると神が出てきてこう言った。
「私は何度もあなたを助けようとした!それを拒否し続けたのはあなたの方ではないか!」
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この話は、20年位前に観たアメリカのテレビドラマの中で、主人公が自分の馬鹿さ加減を語るときに引用したものですが、当時の私にはとても腑に落ちるところがあったようで、未だにときどき思い出すことがあります。
男に悪気があったとは思いませんが、人は一度思い込むと頭が固くなってしまうというわかりやすい例だとは思います。信じるものや支えになる考え方があるのはいいことだと思いますが、柔軟性を失えば上の例のように弱点にもなり得るということですね。
自分が正しいと信じていることをしようとしているのに上手くできないとき、人はできない自分を責めがちですが、責めても責めても変われないのであれば、「なぜできないのか?」よりも「私が正しいと思っていることは、本当に正しいことなのか?」を考えてみませんか? 絶対とは言いませんが、変われない人にとってそれはとても大事なことのはずです。信じることで柔軟性が失われているなら特に。
もちろん、ひとりで考えるのが難しいなら、助けを借りるのは悪いことではありません。自分を変えるとは、強い痛みを伴うとても困難で根気の要る作業ですからね。
ということで、今日の話はここまでです。また会う日までお元気で!
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