2024-01-12

適応できないのは悪いこと?

「自分が皆のようにうまくできないのが悪い」という話をよく聞きます。人間関係とか、会社での立ち回りとか、子育てとか・・・いろいろな場面で自分がうまくやれていないことを、上手くやれている人たちと比較して「自分が悪い」という結論になっているのだと思います。

こういった「皆と同じようにやれないのはダメ」という価値観は、生まれた後の生育環境の中で身につくものです。可能性としては親がそういう価値観だったとか、友人や先生にそう言われ続けたなどが考えられます。確かに皆と同じようにできれば悪目立ちしませんから比較的平和に生きられるかもしれません。しかし一方で、それぞれの人間にはそれぞれの特性がありますので、この価値観が重視され過ぎると「人それぞれ」という部分は、あまり尊重されないことになってしまいます。

「人それぞれ」が尊重されなければ、それを苦手とする人でもやれなければならないですから、一定数の人たちはいつもそれなりに辛い状況に耐え続けることになるだろうし、更にその中の一部の人たちはその辛い状況に耐え続けることができなくなってしまうこともあるでしょう。そうなったときにメンタルクリニックに行けば「うつ」や「適応障害」などの診断を受けて、しばらく休職したり、酷いときには退職したりすることも起きうることかと思います。


【適応障害】は『日常生活の中で起こった出来事や環境に対してうまく対処できず、心身に様々な症状が現れて社会生活に支障をきたす状態』と説明される障害です。この説明にあるように、状態や環境にうまく対応できず(適応できず)それでも対応しようと頑張り過ぎたことでストレスが高くなりすぎて心身が不調になってしまう状態ですね


それを踏まえてもう一度考えてみましょう。「皆と同じようにできないことは本当に悪いことなのでしょうか?」あるいは「皆と同じようにできない自分は劣っているのでしょうか?」

心理学の研究では、自分に合った環境や人間関係であれば、その人の力が発揮されやすいことが分かっています。同時に、合わない環境や人間関係に人の性質を合わせること(人間側が環境に合わせること)の難しさも指摘されています。(ある程度要領のいい人はなんにでも適応できるでしょうが、それでも合わない環境では多少の不快感があるはずです)

ちなみに私個人は、愛着に問題を抱えている人が、合わない環境に自分を合わせられる可能性は限りなく低いのではないかと考えています。それは、人が生きる上で最も必要な「そこにいてもいいという安心感」を得る為の方法が「合わない人たちに合わせること」だから。言い換えると子供のころの辛かった家庭環境の追体験になってしまい、恐怖や不安、怒りや悲しみが噴出する可能性が高いからです。(それ故に何とか乗り越えたいという欲求も生まれてしまい、かなり悪化するまで耐え続けるケースも多々あります)

ですから、先ほどの問いには基本的にNOというのが心理学の立場ということになると思います。「自分がダメ」ではなく「環境や人間関係が合わない」ことについて向き合った方がいいと思いますし、今一度「合う環境や人間関係とは?」について自己理解を深めたうえで、環境や人間関係を選びなおすことの方が、合わない環境や人間関係に耐え続けたり頑張り続けるよりも合理的かと思います。

※自己理解の過程で自分自身の抱える問題点も浮かび上がる可能性もありますので、もし一旦社会生活をお休みすることになるのであれば、そこも含めて時間をかけて自分と向き合う機会にすることをお勧めします。

考えてみれば一人が落ち着く人にグループ活動を強いれば大概ストレスが溜まるだろうし、本を読んで想像を膨らますのが好きな人に計算問題を延々と解かせていればストレスは溜まりますよね?例えば発達障害を抱えた子供が大人になって社会と上手く折り合いが持てている例の理由を紐解くと、努力して合わせられているからではなく、そもそも自分には何が合うのかを理解していて、それに見合う環境を選べているからということが報告されています。繰り返しますが、大事なのは、自分を変えることではなく、「自分に合う環境に身を置くこと」です。

ずっと我慢し続けることに疑問を持つのであれば、自己理解を通じた「自分に合う環境」について、一度考えてみませんか?

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