2024-01-30

不定期日記|20240130

後を引く映画を観る

何度か触れてきたが、私の趣味の一つは小学生の頃からの映画鑑賞である。しかし、社会に出るとそれがいつの間にかストレス発散が主な目的となった為、主にアクションやSFを好んで観るようになり、スカッとはするが後に残らないということが多くなっていた。ときどき映画好きが集まってあれこれ話をする場でも、「それどんな映画だった?」と聞かれると「面白いという印象しかないな」としか答えられないことも多々あった。
友人は「後を引く映画の方が面白い」というタイプで、私からすると”しんどい映画”を好んで観ているタイプなのだが、「それはどんな映画?」と聞いたときに、とても雄弁に語られる内容を聞いていると、彼の選ぶ映画は彼の血肉となっているのだと思えてきて、何とも自分の映画の見方がただの時間つぶしのような気がしてきた。
そんなわけで、先がそうは長くない人生において、時間つぶしをするような生き方は勿体ない。私も血肉となるような映画が見たい!と急に思い立った私は、今年から「後を引く映画」を観ることにした。だいたい月に10本くらいは観ているので(言い訳をするが、趣味にしては観ている本数が少ないのは、もう一つの趣味であるラグビー観戦が忙しいからである)今年の終わりころには、血肉になり過ぎてムキムキになっているに違いない。

NOと言える関係

近しい人間関係なのに「NO」が言えない関係というのは、どういう感じだろうか。もちろん気が合い過ぎる相手だったり、相手のことを好きでしょうがなかったり、尊重したい場合には「NO」はないのだろうが、長い付き合いになればなるほど、相手との違いは明確になっていくし、お互いに環境や経験の影響によって変化し続けていくわけだから、なかなか「YES」だけで付き合い続けるというのも難しい気がする。

個人的に思うのは、いつも「YES」な人は、いずれ我慢の限界が来て「NO」と言い放って去ってしまうのではないか?ということだ。こちらにも事情があるように、相手にもこちらが知る由もない事情があるはずなので、余裕のないときにも「YES」を求め続ければ、流石にこちらの甘え加減に腹を立てるような気がするからだ。やはり親しき中にも礼儀があるように、親しき中にも「NO」があるといい気がする。

それに好き嫌いがはっきりしていて、普段は決して折れないような相手が、こちらに窮地のときには「YES」としか言わなくなるのは、とても感動的だ。「こいつはこういうの嫌いなはずなのに、今は何も言わずに受け止めてくれるんだ」と感じたなら、もう絶対的な信頼関係で結ばれるような気さえする。
そんなわけで「NO」と言えるような関係を築けるように、信頼されるような人間を目指そうと思う。

届かない言葉

基本的に人は聞きたいように話を聞くし、聞きたいことだけを聞く生き物だ。だから会話がかみ合う状態とは、お互いに相手の話に興味を持っているときだし、相手を大事に思えているときだけだろう。そういう認識なので、自分が話していることを相手がちゃんと聞いている(理解を伴って)とわかった時は、ちょっとした感動に包まれる。ちゃんと聞いているのがわかるのは、まずキャッチボールが成立しているとき、次に的確な質問が返ってくるとき、最後に以前に話した話を以降の会話で引用されたりするときだ。そんなときはあまりの感動に「聞いていてくれたんですね!」と言いそうになってしまうが、それは随分失礼な話なのでぐっと我慢したりする。

でもそういうことは人間の傾向上、やはり稀なことだ。基本的には言葉はこちらが届けたいようには届かないと思って話すくらいがちょうどいい。それにそんな風にして「いつも言ってるだろ!」などと何度も同じことを言い合いながら日々を暮らすなんて、なんだか寅さんの家族みたいで微笑ましいと思うのだがどうだろう。

才能がないなら努力で勝負

最近好きな芸術系の人がいて、著書やメルマガなどを読んでいるのだが、そこに「才能がないので一発で大きな反響を得るのは無理だが、100発くらいの小さな反響を集め続けることならできそうだ」といったことが書いてあって、その時は何故か妙に得心してしまい、それを今年の抱負に加えてしまった。ただしそれは仕事上の話だったので、私はそれを仕事に関係なくあくまで個人としてブログをコツコツ書き続けることで達成することにした。

1月から週1でアップしているので、この雑談を上げるころには5本目に到達しているはずである。さて、やってみると私には本当に才能がないことが分かってきた。そのブログのプラットフォームにはアクセス解析がついているのだが、今のところ一つのブログに対して閲覧者が2~3名しかいない。ときどきイイネ!がつくが、誰だろうと辿ってみると「1か月であなたも大金持ち!」とか「宇宙のメッセージに従おう!」みたいな人たちばかり。小さな反響でもない、ただの営業活動(あるいは布教)である。

しかし挫けるわけにはいかない。続けることがテーマだ。それに普段クライエントさんに、続けてみることでしか得られないこともあるなどと偉そうなことを言ってる以上、実証せねばならない。そんなわけで、ここから1年、実証実験をするつもりで取り組んでみようと思う。

五分五分で話せる人

聞き上手という言葉がありますが、聞き上手にもいろいろありまして、中には相手が話し続けるから仕方なく聞き続けているというパターンもあります。リフレイムにはこのことで辛い思いをしている人も相談に訪れますので、その苦しみのほどを聞いていると「突然関係をリセットしたくなるのも致し方ないな」と思ってしまいます。もちろん、聞いてしまう側にも問題はありますが、今回話したいのは聞き続けさせてしまう側についてです。

ちなみに私の友達基準は「基本的に五分五分の対話ができる人」です。プライベートでは私も先ほど書いた聞き上手の部類ですので、過去には「どれだけでも聞いてくれるいい人」みたいな感覚になられて1時間でも2時間でも一方的に話し続けられたこともあります。人は自分の話をしたい生き物なので、そのこと自体は仕方ないと思っていますが、楽しいかと言われると、余程話が上手いとか内容に興味がある場合じゃない限り、楽しくはないですよね。なぜなら相手は「あんたのことには一切興味ない」というメッセージを出し続けているわけですから。しかし、例えこちらが聞き上手だろうと(お前は聞き上手なんかじゃないと言われたらそれまでですが)話したいことを伝えた後に「ハイ、今度は君の番」ができる人もいて(だいたいそれができるのは聞き上手の人ですね)そういうときはとても楽しく会話が進むわけです。そんな風に嚙み合ったときには心地よい時間を共有できる相手になるわけですから、当然友達になってしまいます。そしてそれが五分五分の人です。

そんなわけで、皆さんの周りにも「聞き上手」と言われる人がいるかもしれませんが、ときには「話すことに気持ちよくなり過ぎて相手のことを軽んじていないかな?」と自分を顧みるのも大事なことだと思いますよ。聞き上手はあなたから上手いことフェードアウトしていく術も心得ていますから、気を付けてくださいね。

上手くいかないなら、それぞれに何かを変えないと

さて今回最後の話です。ものごとが上手くいかなければ悩むこともあると思います。それが単なるボタンの掛け違いのような話なら、気づいた時点で修正できますが、人間関係において、お互いの主張をぶつけ続けているが、一向に上手くいかないという場合は、どこまでそれを続けていても同じですよね。なぜなら双方がこれが正しいと思っていて、双方の正しさが違う内容だからです。話し合いはずっと平行線のままでしょう。そもそも論になってしまいますが、人はそれぞれに正しさを持っていますし、それに従って生きています。しかし、コミュニティや人間関係を維持させるには、その正しさは参考意見の一つにしかならないことを知っておく必要があります。

例えば今も苦しみが続いている能登地方の状態について、人々はそれぞれの立場から「こうした方がいい」と提言し続けていますよね?確かに救助にはスピードが大事だから大勢の人を派遣した方がいいかもしれない。しかし一度に送れる人も物資も地形の関係で限られるから、方法を厳選しなければならないので、結果大勢を派遣した時よりもスピード感が落ちる。ひとつひとつは確かにもっともな意見ですが、どれかをとればどれかは却下されるわけです。だから様々な意見をミックスさせて最適な一手を選ぶ必要がある。そんなときに「自分が正しいから絶対こうしろ」と譲らない人が出てきたらどうなるでしょう?どんな事情があるかは知らないが、正論を振りかざす身勝手な人。そんな印象になりませんか?その人は困っている人の気持ちに寄り添っているのではなく、自分の主張に執着しているだけだと思いませんか?

人間関係とは、その全てにおいて自分の主張と相手の主張、そして置かれた状況や環境や事情を照らし合わせた上で、一から最適な方法を構築していく必要があるものだと思います。ひとつ前にも書きましたが「五分五分」から始めなければ、「お互い様」から始めなければ、それが壊れてしまうのは必然ではないでしょうか。

これを書いているときに、私も作品を知っている漫画の原作者さんが亡くなられたというニュースが入ってきました。事情を知らないので何も言えませんが、少なくとも双方に相手を尊重する姿勢があれば、起きなかったことではないのかと思わずにはいられません。とても悲しくて残念です。心よりご冥福をお祈りいたします。

最後に

新年早々、辛い出来事が多発していることもあって、今回は少々重い内容になってしまいました。しかし、いつも書いているように、どういうカウンセラーが話を聞くのだろうかという参考にしていただくための書き物なので、あまりコントロールせず、そのままに書き進めています。ここまでお読みいいただきありがとうございました。


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