「でも」と「自己満足」
「でも」と「自己満足」
会話の中で「でも」「けれど」という言葉を使うことありますか?「でも私は~と思う」「けれど君の言ってることはおかしい」などと、前の言葉や内容に対して反論するときに使われる言葉です。
僕は講師時代、生徒との会話の中で「でも」と言われた経験が多々あります。それは主に、定期テストや模試の成績の返却時の面談のときに登場します。「でも、今回は計画を立ててちゃんとやったもん」「だけど、週末は眠くて集中できなかったから」「けど私は毎日4時間もやったのに」・・・
「でも」を使うのは、真面目だけどなかなか成績の上がらなかった子に多かった気がするのですが、多くの場合、成績が上がらない理由は能力というより、自分にこだわりや思い込みがあり過ぎて、他者からの客観的アドバイスに落ち着いて耳を傾けることができないことに原因があるように思えました。いや、耳を傾けようとしないというよりは、自分の気持ちを分かって欲しすぎて、相手の話を聞く余裕もないというのが正確かもしれません。
もちろん、自分の気持ちが先立つには色々な理由があるでしょう。自己愛や自己防衛かもしれないし、自分に自信が持てないのかもしれない。あるいは自分の見えている世界が正しいと信じているのかもしれない。しかしなんにせよ、「でも」を多用することは、向上に当たっての合理的な方法とはいえなかったようです。
あれから〇△年、今は会話が多い仕事をしているので、「でも」にはとても気を使っています。というよりできるだけ使わないで会話するように注意しているといってもいいくらいです。先にも書きましたが、「でも」は、前の内容に反論したり、否定したりする場合に使う言葉です。余程気を付けて使わないと、無意識にせよ相手は本心を隠すようになります。あるいは本心を話すことを止めてしまうかもしれない。
そしてもうひとつの理由は(こちらのほうがより重要かもしれませんが)、「でも」と話し出すときは、相手の話が続いているのに『…これを言ってやろう…』と自分の言いたいことに思考が切り替わってしまい、途中から相手の話を聞いていないことがほとんどだということ。それではただの自己満足を目的としているだけの会話になってしまいます。
人は自分の言いたいことや信じていることを相手に話していると、徐々にホルモンの活動が活発になって快感を覚えたり、すっきりしたりする生き物です。しかし、会話というのは双方が考えや思いを伝えあって交わる対等な場であって、人の話を利用して一方的に自分が発散する場ではないのです。
さて、これを読んでいる皆さんも自分が「でも」を多用しているかどうか気になり始めましたか?実は「でも」の多用、結果的に人間関係を損なう原因のひとつなんです。必要なときは使えばいいと思いますが、会話の中で乱発している人は、少し控えたほうがいいかもしれませんね。特に友人との人間関係が壊れやすくて困っているなら、自分の話が相手を利用した自己満足になっていないか、一度振り返ってみましょう。
では今日はこれにておしまい。また会う日までお元気で!
ps.でも、相手を思う「でも」もあるんだよな…とも思う今日この頃です。
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