2018-11-15

あなたの主語は自分ですか?

被害者の立場で考えることの弊害

少し語弊があるかもしれませんが、今回は「被害者的な考え方」について書いてみます。

ここで言う「被害者」とは、実際に被害に遭ったという意味合いではなく、日常的な姿勢としての受け身な考え方のことを指します。言い換えると「すべての悪い出来事は、誰かのせいで起きている」という受け止め方です。

例えば仕事場で上司に注意されたことを「あいつは何もわかっていない。いい迷惑だ」と考えたり、親しい間柄の相手に理解されないときに「この程度の人間だったなんて残念」と受け取ったり、期待に応えてくれるはずの相手が思ったように応えてくれないときに「期待して損をした。腹が立つ」と反応したりと、思い通りにならない現状を「他者の責任」と考えてしまう傾向がそれにあたります。

また形は違いますが、人間関係を「自分が我慢すればいい」「相手に合わせれば問題ない」という自己犠牲で乗り切るのも、いずれ「いつも自分が我慢している」のに「それが分からない相手はどういう神経なのか?」と怒りが湧いてきますので、「被害者的な考え方」と捉えていいでしょう。

もちろん本当にそういう場合もありますから、全てを否定するわけではありません。ただ気になるのは、それらの出来事を「自分は正しい・相手が悪い」「自分に責任は無い・被害者である」という前提で受け止めていると、悪いことが起きたのは自分以外のせいだという理屈になってしまうことです。それでは「自分の人生は他人のせいで上手くいっていない」ことになるし、「自分の幸せのカギを握っているのは他人」ということになってしまいます。

ではこの傾向が続くとどうなるか?カウンセリングの経験上「人と交わるのが苦手・嫌い」になる人が多いですし、「どこかに理解してくれる人がいるはず」「どこかに理解してくれる場所があるはず」「どこかに答えがあるはず」という考えに捉われるようになる人も多いように感じます。そしてこれもまた「自分の幸せのカギを握っているのは、どこかにいる他人」ということを表しています。それでは、幸せは運次第と言っているようなものではありませんか?

原因の多くは子供の頃の環境に起因するものですから、そう考える癖がついたのは仕方のないことですが、だからといってその姿勢を大人になってからも続けていれば、前述したように思い通りにならない現状を「周りの責任」にしてしまうことになりますし、他者に対する怒りや不信感を抱えながら生きていくことにもなりかねません。そんな人生は送りたくありませんよね?

あなたが自分の人生を生きているかどうか。それを確認する方法があります。それは、何かが起きたときや意見を述べるときに、「私は~と思う」「私は~と考えて~する」と自分を主語にした言葉を口にしているかどうかをチェックすることです。それができていれば問題ありません。そこでもし「あの人が~だから、私は~」とか「周りが~だから、私は~」と言うことが多いと気づいたなら、この機会に主語を自分に変えていく必要性を考えてはいかがでしょう。

最近観ているテレビドラマ「僕らは奇跡でできている」は、まさに「自分がどうしたいのか?」を問うドラマで、個人的にとても勉強になる言葉の数々が登場します。誰かのせいにして辛い時間を送っている人たちに、高橋一生君の言葉が突き刺さるのを観ていると、「本当にこの国は他人軸で生きている人が多いのだな」と思わずにはいられません。気になる方は是非チェックしてみてください。

少し話が逸れてしまいました。私も一時期、多数の人が良いというものに意味があるのだと考えてきました。それゆえ、一向に世の中に馴染めない自分を「ダメな存在」だと考えていました。そんなときに心理学に出会って自分と向き合うことができたから、遅ればせながら自分の人生を「不器用ながらも自分らしく」生きる努力ができるようになっています。それはにはまず「私は~と思う」と話せることが重要でした。それは、周りがどうであろうと「自分はこう生きる」という意思表示でもあります。

被害者の立場をやめて自分を主語に。長きに渡り何も良くなっていかないのであれば、まずはそこから始めてみるのは如何でしょうか。

ではまたお会いする日までお元気で。。

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