2023-07-07

不定期日記|2023707

多分3年ぶりの更新となるが、文章で思いを綴る作業からは随分と距離を取るようになってしまった。その理由については3年前の更新時に書き記しているが、今思い返してみると、文章とはそのときの考えを固定してしまうものなので「変わり続ける心情を表現するのが難しい」と思ったからである。しかし今回久しぶりに書いてみたのは「変わり続ける心情だからこそ過去の記録に意味を見出せることもあるかもしれない」と思うようになったからに他ならない。私もまた更新されつつあるのだ。

◆神様に願う

色々なところで発言しているのだが、40後半くらいから一度読んだことのある本ばかりを繰り返し読むようになった。新しい刺激あるものに出会いたいという欲求を、馴染みのあるものに再び出会いたい欲求が上回るようになったのだ。しかし、体調のことや老眼、また知識の更新の為に読む専門書に取られる時間などの理由で落ち着いて読み直すことが難しい状況が続いていた。そんなときにSNSに流れてきたのが、本の朗読を聞けるサブスク「オーディブル」だった。調べてみると私の好きな村上作品をはじめ、様々な本がアップされており、内容も充実したものだった。そこで隙間時間を使って本を聴くことにしようと申し込んだわけだが、これがかなり良くて嵌ってしまった。特に仕事の行き帰りの時間を使うとかなりの量を聴ける。一番嵌っているのが村上春樹の「騎士団長殺し」で、高橋一生君の声が没入感をかなり高めてくれる(これを書いている時点で既に3回も繰り返して聴いている)。それとどの本もそうだが読んだ当時に気付きもしなかったことに新たに気付くことができる。多分自分で読んでいない分、客観的な目線を獲得できるのだろう。そんなわけで老後の楽しみとして適切なものを見つけてしまった私の現在の不安は「耳が遠くなること」に他ならない。どうか神様、耳だけはお守りください。。

◆起きたことを流せるようになってきた

歳のせいと言ってしまえばそれまでだが、ショックを受けたことや腹が立ったこと、失敗に落ち込むことなど、以前なら長々と引きずってしまい、関係のないところでもどんよりとした空気を放ったものだが、このところその「長々と」が減ってきたように感じる。一番のきっかけは体調が悪くなった影響で引きずることにエネルギーを割けなくなったということだ。また体力の減少と共に辛い気持ちを背負うのが無理になってきているということもあるかもしれない。なんにせよ、とても楽に生きられるわけだから、そういった変化は歓迎したいと思う今日この頃だ。ただ変な話だが、それと同時に生きている実感も薄れた感覚があって「もしかしたらしんどさを背負うということは、自分にとって安心できる存在理由だったのかもしれない」と思ったりもしている(深くは考えない)。

◆私の目は節穴である

先日、初めて入った珈琲の店で飲んだコーヒーが美味しかったので豆を買おうかとなったのだが、とても忙しそうな上に、何というかとても無愛想な顔つきに見えて、なかなか話しかけられなかったのだが、意を決して話しかけてみると、やっていた作業をバシッと中断して笑顔で「あ、こちらに特徴をまとめたものがあるのでどうぞ」と説明用の手作りパンフで説明しながら丁寧に向き合ってくれた。結果的にとても満足のいく説明と豆を数種類手に入れることができて「人を見た目で判断するのやめろって」とブツブツ言いながら帰途に就いたということがあった。しかしその数日後、仕事の用事で備品を買いに行ったときの話だが、受注販売の品を、どのような段取りで申し込めばいいのかをぐるっと見回して感じよく見えた店員さんに聞いてみた。調子よく説明を受けて見積もりも出してもらって納得して注文したのだが、家に帰って書類を確認してみると頼んだことは反映されていないし、頼んでいないサービスが勝手につけられているしで、ちょっと衝撃を受けるということがあった。「俺の目は節穴か…」と改めて自分の見る目の無さにショックを受けた次第である。

◆一番好きな場所に行けるとしたら

あるとき「明日目が覚めたら、今一番行きたいところに居ると言われたら、貴方ならどこ?」と聞かれたのだが、どこに行きたいのかがどうにも思いつかない。いや、行きたいところはたくさんあるが一番というのが難しい。まず行ったことの無いところは実感を持って一番と言えない。だからといって今までの人生でこの場所は一番だ!と思えた場所も思い浮かばない。良かった場所はいくつかあるが、やはり『一番』かどうかがわからない。そもそも一番という設定に無理があるのだ。もしそれを使うのであれば、今にもご臨終という瞬間に「今までで一番良かった場所は?」と聞いてくれないといけない。そんなわけで、まだ生き切っていない人に一番を問うのは無謀ではないか、というのが今のところの結論である。(人生で一番の味!とか言う人がいるけど、ただただ羨ましい)

◆感情の表現方法

いつからそうなのかははっきりと覚えていないのだが、私は特にポジティブな感情表現が不得手である。断っておくが、ちゃんと楽しいとか嬉しいとかの感情はある。問題はそれが表出するときにかなり抑え込まれるということである。楽しんでいないように見える私に気付いた誰かから「体調が悪いのか?」「つまらない?」などと気を使われてしまったことなどは思い返せば多々ある。このままではいつか「あの人は気を使わないといけないから…」などと言われるようになるかもしれない。だから思い付いたときには「楽しいなぁ!」と言ったりするのだが「どう見ても楽しそうには見えない」と指摘されたりする。感情表現が苦手な皆さんは、この難局をどうやって乗り切っているのだろう。

◆僕らが旅に出る理由

長い間、旅に出るときのテーマ曲は佐野元春の「youngblood」だったのだが、コロナ自粛が明けたら突然、小沢健二の「僕らが旅に出る理由」に変わった(出発時に頭の中で流れている)。若い頃は知らない場所に行くという冒険心のようなものが高揚感を引き出していたし、行き当たりばったりの行程にいつも満足していた。そしてそういうときに「youngblood」はちょうどいい感じだった。テーマ曲が変わったということは、自分自身に色々な変化が起きている証拠だし、他のところにも書いたが体調に関して完全に自信を無くしたという出来事が大きく関係しているのだと思う。そんなわけで、すっかり保守的になった私は、旅のテーマを「人」に変えつつあるのだ。誰と行くのかはもちろん、誰に会いに行くのかというのも大事な要素だと感じる。そしてそういうときに「僕らが旅に出る理由」はちょうどいい感じなのである。知らない人は一度聴いてみてもらいたいのだが、結構深いメッセージが隠れていて、ポップだが渋い爺さんを目指す私としては、晩年の自分のテーマ曲として結構気に入っていたりする。

◆男性更年期障害

多分それが始まったのは2018年あたりではないかと記憶している。それまでも原因がわからない不調にはしばしば悩まされていたが、それが継続的な辛さを伴って襲ってくるようになった。頭痛、胃腸の重さ、胸のしめつけ、動悸、めまい、背中の鈍痛、中途覚醒、急な発汗、倦怠感…など挙げればきりがないが、その慢性的なしんどさは我慢できなくもないレベルだったので、かかりつけ医でも対処療法的なことを繰り返すのみで埒が明かなかったことを覚えている。そうこうしているうちにコロナ禍となって気分も落ち込みだすわけだが、コロナ鬱なるものが登場していた時期だったので「これだけ閉じこもっていればそうもなるよね」と、あまり気にしないようにしていたのだが、2022年頃からかなり気分がふさぎ込むようになり、体調もかなり悪化した。周りからも「ちょっとおかしい」と指摘を受けるようにもなったので、これはいよいよどこかおかしいかと人間ドック・脳ドックと全て検査したが特に異常はなかった。そんな折、男性更年期障害について知る機会があって診てくれる医者を探していたところ(名古屋にはそういった窓口が無かった)2023年に入ってようやく仕事場の近くに男性更年期外来を見つけた。早速受診すると、なかなかに重めの男性更年期障害であることが分かった。(男性ホルモンのテストステロンが基準値をはるかに下回っていた)医者曰く「辛かったでしょう?例えば体の不調以外に鬱っぽい感じになったりしていませんか?脳内の血流量が減少することで似た症状が起きたりするのです」ということだった。ホルモン充填療法の前に、もしかしたら効くかもと処方された薬が劇的に効いて、3日後には嘘のように体が楽になったのが4月のことだ。上に書いたものはその前後に起きたことである。

こう書いてみると、多くの内容が自分の老いにまつわることであることに驚きを感じるが、確かに最近の同世代との話題と言えば体調云々であることが多く、その昔「老人たちは四六時中病院や薬の話をしているが、何が面白いのだろう」と思っていた自分にも、ようやくその気持ちがわかるときがやって来たということだろう。当時の自分に分かりやすく説明するならば「老いると毎日を生きることで精一杯になってくるからだよ」というところか。

ここまで読んでいただきありがとうございます。私という人間を知っていただいた上でリフレイムを利用していただいた方が効果が上がりやすいと思っていますので、選択の際の参考になれば幸いです。


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